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名古屋地方裁判所 昭和36年(ワ)1565号 判決 1965年4月30日

主文

名古屋市中村区太閣通四丁目六八番田一畝二六歩と同所六六番宅地四八坪二合四勺の境界線は、別紙図面表示のAB各点を連結した線であることを確認する。

反訴被告は反訴原告に対し名古屋市中村区太閣通六八番の二田四歩(別紙図面表示のAA´B´BA各点を連結した土地四坪七合八勺)につき愛知県知事の地目変更の許可を条件として地目、地積の変更登記をなして所有権移転登記手続をせよ。

訴訟費用中本訴に関する部分は被告の負担とし、反訴に関する部分は反訴被告の負担とする。

事実

一、原告訴訟代理人は本訴につき「名古屋市中村区太閣通四丁目六八番田一畝二六歩と同所六六番宅地四八坪二合四勺の境界線は別紙図面表示のAB線であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、反訴につき反訴請求棄却の判決を求めた。被告訴訟代理人は本訴につき「原告の請求はこれを棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、反訴につき「反訴被告は反訴原告に対し、名古屋市中村区太閣通四丁目六八番の二田四歩(別紙図面表示AA´B´BAの各点を結んだ土地四坪七合八勺)につき愛知県知事に宅地四坪七合八勺に変更許可申請をなした上、反訴原告に対し所有権移転登記手続をせよ。反訴費用は反訴被告の負担とする。」との判決を求めた。

二、当事者双方の主張

(1)  原告(反訴被告、以下単に原告と称する。)訴訟代理人は請求原因として次の通り述べた。名古屋市中村区太閣通四丁目六八番田一畝二六歩(仮処分によつて分筆された前記六八番の二の土地を含む。以下単に六八番の土地と称する。)は原告の所有で、同所六六番宅地四八坪二合四勺(以下単に六六番の土地と称する。)は被告(反訴原告、以下単に被告と称する。)の所有であり、両地は隣接している。そして両地の境界は別紙図面表示のAB各点を結んだ線であるに拘らず被告は之を争うので、原告はここに右の通り両地の境界の確定を求める。

(2)  被告訴訟代理人は答弁並に反訴の請求原因として次の通り述べた。

原告主張事実中六八番の土地が原告の所有であり、六六番の土地が被告の所有であること、両地が隣接していることは認めるが、その余の事実は之を争う。両地の境界線は別紙図面表示のA´B´B各点を連結した線である。仮に両地の境界線が原告主張の通りであるとしても、被告は六六番の土地を昭和五年七月一九日相続によつて所有権を取得して以来現在に至るまで両地の境界はA´B´B各点を結ぶ線であると信じ且かく信ずるにつき過失なくしてA´B´B以北の土地全部、従つてその一部であるAA´B´BA各点を結ぶ地域四坪七合八勺(仮処分によつて名古屋市中村区太閣通四丁目六八番の二田四歩となつた。以下単に六八番の二の土地と称する。)を平隠公然に占有して来たから、おそくとも昭和一五年七月一九日の経過と共に時効により所有権を取得したものである。仮に昭和一一年七月二四日原告が右六八番の二の土地を売買によつて所有権を取得した時に時効が中断したとしてもその時から一〇年を経過した昭和二一年七月二四日取得時効が完成し、原告はその所有権を取得したものである。そし右六八番の二の登記薄上の所有名義は原告であり、地目は田となつているが現況は宅地となつているので、知事に対し地目変更の許可を得た上、地積も前記の通り相違するので、原告はここに被告に対し右六八番の二の土地について地目並に地積の変更登記をなして移転登記手続を求める。

(3)  原告訴訟代理人は、右被告主張事実中六八番の二の土地の現況が宅地であるが、登記薄上の地目が田となつていること、並にその地積が原告主張の通りであることは之を認めるが、その余の事実は之を争う。原告は昭和一一年六八番の土地を買受けたが、その頃AB線に沿つて被告の借家が建つていた。原告は右の如くして買受けた六八番の土地を加藤一朗に対しAB線が隣地との境界であると指示して賃貸した。ところが被告は昭和三四年頃に至つて自己の前記借家をとりこわし新しく家屋を新築するに当り、同年暮頃境界線を犯してAA´B´B線まで侵入し、六八番の二の土地を占有するに至つた。即ち被告が六八番の二を占有するに至つたのは昭和三四年暮頃である。仮に被告は右土地をその地上家屋の賃借人たる岩田米次郎によつて代理占有しているとしても、それは昭和三二年五月からでありいずれにせよ取得時効が完成する理由がないと述べた。

(4)  被告訴訟代理人は右原告主張事実は之を争うと述べた。

三、証拠(省略)

理由

一、本訴の判断

六八番の土地が原告の所有で、六六番の土地が被告の所有であること、および両地が境を接することについては当事者間に争がない。そこで両地の境界線の点について判断するに、成立に争のない甲第一、二、三号証、乙第三号証、証人福田源次郎(第一回)の証言により真正に成立したものと認むべき乙第二号証、証人加藤一朗、同山森玲子、同小嶋かつの各証言、原告本人の供述および検証の結果によれば、六八番の土地と六六番の土地の境界は別紙図面中のAB両点を結ぶ直線であつて、被告主張のようにA´B´B点を結ぶ線でないことが認められる。右認定に反する証人福田源次郎(第二回)の証言、被告本人福田政の供述は採用しがたく、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

二、反訴の判断

成立に争のない甲第二号証、証人福田源次郎(第一、二回)、岩田米次郎の各証言、被告本人の供述、原告本人の供述の一部によれば次のことが認められる。

(1)  本件六六番の土地は元被告の養父の所有であつたが、昭和五年七月一九日家督相続により被告がその所有権を取得したこと、爾来右土地は被告のためその養父福田源次郎が管理していること、同人は六六番の土地の範囲は六八番の二の土地を含めて別紙図面A´B´B以北の土地と考え、之を訴外渡辺某に賃貸し、同人は右地上に建物を建築所有していたこと、その後福田源次郎は右家屋を買受け之を他に貸していたが、昭和三四年頃之をこわしたこと、

(2)  岩田米次郎は福田源次郎から右取こわし前の建物を賃借し、同所で廃品回収業をなしていたこと、そして、同人は右六八番の二の土地は借家に附属したものと考え、同所を回収した廃品やリヤカーの置場として、之を利用していたこと、

(3)  別紙図面A´B´線に終戦前は竹垣をしてあつたが、終戦後は板塀となり、更に昭和二三年頃からはトタン塀となつたこと、しかも右の塀はいずれも原告所有地の賃借人によつて作られたものであること、

(4)  昭和三四年頃前記家屋を取こわし被告が新に建築にかかつたときはじめて原告から境界線を犯しているという申出があつたので、被告はそのようなこともあるかと考えたが、それまでは六八番の二の土地は自己の所有地と思つて之を占有していたこと、

以上の事実が認められる。そして右認定事実によれば、被告は福田源次郎を介して六八番の二の土地を相続によつて取得した昭和五年七月一九日以来原告から右抗議のあつた昭和三四年頃まで所有の意思を以つて平隠公然無過失に占有して来たものといえる。

もつとも、証人加藤一朗、同山森玲子、同小嶋かつの各証言によれば、前記の塀は境界線よりも控えて作られたものであつて境界線を示すものでないことが認められるようである。然し、塀の設置者の主観的意図はともあれ客観的に塀が存在する以上被告が之を境界線と信ずるのは当然であり、かつかく信ずるにつき何等の過失がないものというべきであるから、右各証拠によつては前記の認定をくつがえすことができない。そうすると、被告は昭和五年七月一九日以降一〇年の経過、即ち昭和一五年七月一九日の経過と共に六八番の二の土地の所有権を取得したものというべきである。そして右六八番の二の土地の現況が宅地であるが登記薄上の地目が田となつていること、その地積が登記薄上は四歩となつているが、実測は四坪七合八勺であることは当事者間に争ない。そこで原告は被告に対し六八番の二の土地につき所轄愛知県知事に対し地目変更の許可を得た上、その許可を条件として地積並に地目の変更登記をなして移転登記手続をなすべき義務があるものというべきである。(反訴請求の趣旨は多少之と異なる表現をしているが、その趣旨とするところは右と一致する。)

以上の理由により、原、被告の本訴並に反訴はいずれも正当であるから之を認容し、民事訴訟法第八九条を適用し、主文の通り判決する。

別紙

注 数字は間数を示す

<省略>

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